一昔前は教会で結婚式。ホテル等で披露宴。そして二次会という流れが当たり前だったブライダル業界。
しかし、現在は結婚式を挙げるどころか結婚する人さえも減少している状況。
数少ない結婚をし晴れて夫婦になるカップルも近年は式を挙げないというパターンも増えている。
私自身、結婚式とは縁がない時のイメージは
「結婚式はお金がかかる。」
「色々、準備がめんどくさそうだ。」
「1日のために、そんなお金をかけるより、他のことにお金かけた方がいいのでは?」
という、大多数のカップルらが感じる思いを持っていました。
思った通りだったこと
ゼクシィ相談カウンターを通して、結婚式場を決定し前撮りの衣装等の打ち合わせ準備をしている時に、やはり感じました。
私が以前、想像していたことは、間違ってはいなかったと言っていいだろう。
「結婚式にはお金がかかる」
というよりも、より具体的になったということだ。
もちろん、式場や衣装や料理等にお金がかかると想定したが、前撮りの段階でかなり金額が積まれることになる。
全てのお店が同じシステムではないでしょう。
私が実際に伺ったお店で体験したことをここでは挙げさせていただく。
おそらく殺し文句と言っていいだろう。
『結婚式はお金がかかるものだ。』
『結婚式のスタイル・格式を守ってこそ意味がある。』
『この衣装に合う小物は○○で素材も○○が一般的(普通)です。』
そして、私達に植え付けられるのです。
「まぁ、結婚式だし仕方がないか。」と。
断っておくが、ブライダル業界が苦しい現状も想像できるし、営業して利益を出すために高額なものなどを設定していることに否定するつもりはありません。
お金をかけて結婚式をするカップルはそうすれば良いし、お金をかけずに結婚式をするカップルもいればそれでよいと私は考えています。
私が疑問に感じたのは格式などを盾にして、選択肢を狭めていることです。
いやいや何を言っているの?既に結婚式は自由になっていますよね?
そうです。結婚式のあり方は、昔と比べかなり自由になってきたと思います。
宗教にとらわれることもなく、海外挙式もでき、和装も洋装もどちらもでき、男女のカップルだけでなく、同性同士でもシングルでも挙式ができるようになりました。
ハデな結婚式からジミな結婚式まで。
形式は様々になりました。
ただ、必要とあまり感じないものやことを格式という言葉や一般的という言葉を利用して強いているよう感じるのです。
例えば
シルクのハンカチ 4,000~6,000円
ピンホール 8,000円
シャツ 12,000円
蝶ネクタイ 5,000円
エナメルシューズ 40,000円
※私がお世話になる専門店になります。
これらを購入しなければならないとのことです。
ピンホールや蝶ネクタイなんてものをこの先使うことはほとんどないに買う必要はあるのでしょうか。
端から見えないものや使うことがないものに良質な素材にする必要があるのでしょうか。
「レンタルとして取り扱っていません。」
「結婚式ではこの○○が伝統的である。イギリス式では○○が一般的。」
「持ち込みで小物は用意するのは不可。」
などなど…。
もちろん、お店によっては持ち込み可能な場所やレンタルできる場合もあります。
ですが、衣装の選択において自由性は少なく、強制的に用意されている不必要なものも購入しなくてはなりません。
このように結婚式の衣装の素材やスタイルに対しても「伝統的」「○○式」という言葉を使って当てはめようとし、選択を狭めるのです。
仕方がないことなのか
神前式が広がったのは1960年代頃より。ホテルウェディングやチャペルウェディングが広がり始めたのは1990年代。
イメージの強いドレスを着た結婚式の歴史はせいぜい30~40年くらいである。
結婚の歴史は平安時代頃からありますが、近代的な日本の結婚式の歴史は思った以上に浅いのです。
日本独自の結婚式として進化するわけでもなく、イギリス式・アメリカ式へのこだわりがあるのです。
そして格式という言葉を巧みに使い高額・高品質でかつ日常に不必要なものの販売を強いるのです。
しかも、今のように高額な費用がかかる要因になったのも日本のバブル期と重なっているため、当時の金額帯がそのまま引き継がれている節もあります。
結婚式も進化すべき
結婚がある種始まりならば、終わりは葬式である。
その最後、人が入るお墓が近年画期的なものが広がっている。
納骨堂がデジタル化しているのである。
どういったものかと言うと、ビル型の建物内で何百基以上のお墓を管理し、専用の認証カードをかざすことで自動的にお墓が移動し、お参りすることが出来るわけだ。
こういった背景には
「遠方で墓参りが難しい。管理ができない。」
「墓石だと費用が高い。」
といったものがある。
このようのデジタル化にすることでお墓参りにも行きやすくなり、管理もほとんどする必要もなく、費用も墓石を作るよりも比較的安価で済ませることも可能だ。
葬式。とりわけ日本は大多数が仏教を信仰していることもあり、死ねばお坊さんを呼んで葬式をし、お寺の管理のもとお墓を用意するのが自然である。
長きに渡って続いていたこの流れをデジタル化することで少し残しながら、現代の人々に合う形で残そうとしている。
令和の今、昭和や平成初期のように結婚式を挙げようとするカップルは多くない。
むしろ結婚式ナシ婚という言葉があるくらいである。
それは準備の面倒くささと不必要なまでの高額・高品質を強いられることがイメージを持たれている(事実であること)ことが広がっているに他ならない。
結婚式とは
結婚式は人生のイベントの一つでもあるが、やはり節目の儀式として必要なものであると考えます。
それは両家に対して、配偶者に対してのある種誓いのような場であります。
行うことへの意味があります。
それが薄れ始めているのは悲しいものです。
令和の時代にある結婚式のあり方が築かれることを願います。